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2009.05.29 Friday
NHK「東海村臨界事故」取材班
『朽ちていった命 被曝治療83日間の記録』 新潮文庫、2006.10、221p、438- 初出:『東海村臨界事故 被曝治療83日間の記録』岩波書店、 2000.10 被曝 一九九九年九月三〇日 邂逅 被曝二日目 転院 被曝三日目 被曝治療チーム結成 被曝五日目 造血幹細胞移植 被曝七日目 人工呼吸管理開始 被曝一一日目 妹の細胞は…… 被曝一八日目 次々と起きる放射線障害 被曝二七日目 小さな希望 被曝五〇日目 被曝五九日目 終わらない闘い 被曝六三日目 一九九九年一二月二一日 被曝八三日目 折り鶴 未来 あとがき 解説:柳田邦男 JCO東海事業所勤務の大内久は、ここ茨城の生まれ育ち。 実家の敷地に家を新築して、妻子と住んでいる。 1999年9月30日、出勤してから転換試験棟という場所で作業開始。 核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使う ウラン燃料の加工作業である。 上司と同僚の3人で13日から作業に当たっており、 今日はいよいよ仕上げの段階だった。 まずステンレス製のバケツの中で溶かしたウラン溶液を濾過する。 その液を沈殿槽という大型の容器に、漏斗で流し込むのである。 途中で上司と交代した大内が右手で漏斗を支え、 同僚がそこにウラン溶液を流し込む。 バケツで7杯目、最後の溶液を流し込み始めたとき、青い光が走った。 臨界。 大内たちは、その瞬間中性子線を被曝した。 放射線の発生を知らせるサイレンが鳴り響いた。 上司の「逃げろ!」という声で大内たちは更衣室へ逃げ込み、 その直後に意識を失った。 千葉県の放射線医学総合研究所へ運び込まれた大内は、 最初、被曝量を8シーベルト以上と推定されていた。 IAEAの被曝量推定によると、 8シーベルト以上の被曝をした人間の死亡率は100%。 その後の染色体検査などから、最終的に大内の被曝量は 20シーベルト前後とされた。 これは普通の人の年間限度量の2万倍に達する。 大内には造血幹細胞移植が必要と判断され、 東大病院救急部への転院が決まった。 搬送されてきた大内の外見は、火傷を負った右腕以外に 大きなダメージも見られず、意識レベルもほぼ正常だった。 担当になった医療スタッフたちが、もしかしたらよくなるのでは、 治療したら退院できるのではないか、と思う程だったのだ。 救急部の看護婦長は、その日の看護記録の中に 「最終的な目標:ICUを退出できる」と書き込んだ。 その後、大内の容態は日に日に悪化してゆく。 新陳代謝で表皮の細胞がはがれ落ちても、 放射線によって破壊された染色体は新しい皮膚を造れず、 真皮がむき出しになってゆく。 乾燥を防ぐため輸液をし、全身を包帯で覆うが体液の浸出は 日に2リットルをこえる。 組織が新生されないのは内臓も同じで、粘膜は次々はがれ落ち、 下層がむき出しなって、消化管には血液がたまってゆく。 自発呼吸も阻害され、意識レベルも低下してゆく。 妹からの造血幹細胞移植もおこなうが、細胞は定着しなかった。 次第に朽ちてゆく体。 必死でそれを食い止めようとし、そのたびにそれが、 単なる時間稼ぎでしかないことを痛感させられる医師たち。 疲労してゆく家族、徒労感にさいなまれる医療スタッフ。 1999年12月21日、享年35歳。 死因は「放射線の大量照射に起因して一次、または 二次的に惹起された他臓器の機能不全と推定される」とされた。 2000年4月27日、被曝211日目、大内とともに被曝した 同僚の篠原も死亡、享年40歳。 同年10月、事故当時の所長らが業務上過失致死の容疑で逮捕された。 ----------- 東海事業所でのウラン燃料の加工作業は、本当のマニュアルを 簡易化した、あまりに安全性に欠けていたものであったこと、 作業の危険性を大内ら作業員はほとんど教育されていなかったこと、 日本の電力の3分の1は原子力によるものなのに、高線量の被曝、 特に臨界事故などによる中性子線被曝の治療についての研究が 日本ではほとんど研究されていないこと、 原子力防災体制の中の、被曝治療の位置づけが非常に低いこと、 国の法律にも、防災基本計画にもその制定に臨床医が関わっておらず、 医師の視点=「命の視点」が決定的に欠けていたこと。 この事故は、大内の死は、それらの大きな問題をつきつける。 原子力安全神話という根拠なき自信のもとで、安全対策が軽視され、 現場が危険に曝される可能性を、想定していなかったJCO。 しかしそれは翻って、そのようにして作られた電力を消費する われわれ自身にも突きつけられる課題なのである。 首都圏でありながら、人口密集地ではない茨城県に作られた JCO東海事業所。 または過疎地の海岸沿い、鹿児島、佐賀、愛媛、島根、若狭湾沿岸、 新潟、福島、宮城、青森、北海道… 目に映らないことを、自分が知らないことを、 言い訳にしてはならない。と痛感する。 淡々としたドキュメンタリで、悲惨な現場を直視しつつ、 憤りつつ、それを端的に表に出さない姿勢に好感。 2009.4古書で購入。 こちらも詳細です: Heaven or Hell?「朽ちていった命〜放射線被曝とはどういうものか」 |
