活字中毒者の乱読日記 印象批判100%
矢川澄子『「父の娘」たち』
矢川澄子『「父の娘」たち ―森茉莉とアナイス・ニン―』
新潮社、1997.7、215p、1600-

機鷗外の娘
  至福の晩年
  その「微笑(わら)ひ」をこそ
  「蜜の文学」の成立
  犀星と茉莉
  茉莉さんの常食・茉莉さんの写真
  卯歳の娘たち
  対談 父と娘の深い恋愛

供.皀ぅ蕕肇▲淵ぅ
  〈神〉としての日記
  ほんとう?の児童文学
  「父の娘」さまざま 
  お友達はダイナマイト
  熱風(シロッコ)の吹きやむまで

付 恢復期としての生
  ふたりの翠(みどり)をめぐって
  「わたしひとりの部屋」から
  「わたしひとりの部屋」以後
  早すぎ、長すぎた生

あとがき


生涯、ある偉大なふたりの父の娘として生きた、
1930年生まれのふたりの女性に関する評論とかエッセイとか集。

森茉莉が父鷗外とともに過ごした時間は人生の約4分の1だが、
かの女はその父の面影を繰り返し語って倦むことがなかった。
早熟で、早世で、医師として学者として作家として、
かくも正しい明治の偉人であった鷗外の文学とは対照的に
茉莉は54歳で文壇にデビューし、代表作を書き上げたときには
72歳になっていた。80を過ぎて逝去するまでにかの女が書いた
その作品の特徴を一言でいうなら、それは頽廃。
「絶頂からはじまってあとは爛熟へと、ひたすらに下降線をたどり
凋落の一途をたどるこの道程は、ことばの本来の意味での
デカダンスの名にまさしく価する」。(11.17-12.1)
その「高等遊民」としての茉莉のあり方に及ぼされた、
鷗外の存在と影響を、茉莉と親交があったこともフルに活かして
考察していく、いわば、茉莉側から見た鷗外論。

いっぽうアナイスは、11歳のときから生涯日記を書き続け、
むしろその日記を刊行したことによって知られる作家である。
著名なピアニストであった父ホアキン・ニンと母が突然離別し、
経済的にもゆとりのない生活に放り込まれたアナイスが、
自分を一番身近に認めてくれるものとして書き始めた日記。
アンネ・フランクにとっての日記が友人であったように
アナイスにとっての日記は神であった。
その日記によってアナイスの男性遍歴、さらにはホアキンとの
邂逅と交歓をすら、われわれは知ることができる。
その人生の中での、自身の魂の先鋭化。

森の中の蜜したたる楽園に、父によって保護された茉莉と、
アフリカから吹く熱い季節風の街に取り残されたアナイスと。
「すべては風のなせるわざだったのか?」(155.13)という問いと。

付の野上彌生子、尾崎翠、野溝七生子論が秀逸。
家父長的文学論によらない、女性作家論はもっとkwsk(笑。
「少女―老女予備軍としての
 老女―少女後遺症としての」(172.8-9)
なんていう少女感覚にはしびれますね。

20090415借
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