活字中毒者の乱読日記 印象批判100%
木地雅映子『悦楽の園』
木地雅映子『悦楽の園』ジャイブ、2007.10、415p、1800-

ママは15歳で真琴を生み、そのまま亡くなった。
一度だけ会ったことがあるパパは革命家だったと聞いている。
自宅は出入りの多い家で、校区を越えた不登校児のたまり場になったり、
母子ごとDVから逃げてきた人が一時避難したりする家。
自室には3重に鍵をかけている。
騒がしさから逃れるために勉強に没頭するから優等生。
おばあさまと真琴が母屋に、ひいおばあさまが離れに、
慧実伯母さま、留美子叔母様が市内のマンションに住んでいる。
ひいおじいさまもおじいさまも、存命だが戸籍上は他人、
相原家は女系で、かつ結婚運が悪い一家なのだ。

中学に進学した真琴は、前の席に座る南になつかれる。
南は4月1日生まれなので、4月2日生まれの真琴とは、ほとんど1歳違いだ。
エイプリル・フールに生まれたからって、
なにもここまでバカに育つことないのに。
と真琴を嘆かせるくらい、南は軟弱で薄汚れていて、成績は悪く、
ちびで、突然失神したり、訳のわからないことを口走ったりする。
しかし南は、意外にも凡人ではなさそうな絵を描いたりしていて、
真琴に看過を許さない。
南と近づいたのをめずらしがって、茶髪のヤンキー、染谷が接近してくる。
この変わった面々に囲まれて、
本人もじゅうぶん変わっていると思われている、真琴の中学生活が始まる。
「普通」が求められ、無意識に押しつけられる中での、
パパとの約束を守るべく、決して妥協をしない日々が。
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胸が痛くなる。

戦う相手は学校、などの目に見えるわかりやすいものではない、
おそらくこの社会という漠然としたもの、
どこまでいっても自分が包括されるもの。
その点で、真琴たちの喧嘩は、『ぼくらの七日間戦争』などより
よほど大きく、終わることがない。

悦楽の園を見つけ、そこへ向かう道筋に段取りをつけ、
そのことにむしろ協力的な家族がいて、それは幸せなことに違いない。
10代の人間にとって、逃げ込む場所は家族なわけだし、
外で生きづらいことがあっても、それでも大丈夫だと自分を肯定し、
外から隔離して守ってくれる家族があるのなら、おとなになるまでの時間、
そこで育っていけばいい。
南はアスペで学習障害で注意欠陥障害で発達障害で、ということが
わからずに、とてもつらい13年だったわけだが、
それが診断されたことによって、
それが理解できなかった家族がまるごと救済されることによって、
まるで違う少年に生まれ変わる。

でもその自身の逃げ場・足場として機能するような家族がなかったら?
外と同じように自分にある意味での「普通」=<塔>の中で生き続けることを求める家族だったら?
例えば南のような、<塔>の外で勝負することができるような才能を
持ち合わせていなかったら?

いろんな意味で疑義が浮かんでは消える。
真琴たちの生き方がひどく難しいこと、
幾度も折れそうになるようなことが起こるであろうこと、
そのつらさは、おそらく次世代にも起こりうるであろうことを、
30過ぎまで生きてきたわたしは知っている。
この本を読むであろう多くの「元」文学少女たちも知っている。

<塔>を出ることは、ひとりだけではあまりにたいへんだから、
本当の悦楽の園は、容易には手に入りがたいものだから、

この本は書かれざるを得なかったのかもしれない。とも思う。

だからこの本はある意味、祈りの書なのだ。
つらかった義務教育時代を慰撫する、
未だに生きにくい社会にもまれる日々を緩衝する。
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文体としては、この手の三人称はあまり好みじゃないかも…。
限りなく真琴の一人称に近いのに、いきなり視点が他者に変わったり、
他者のモノローグが含まれたり、こういうのは書きやすいかもしれないし、
読むほうも状況を摑みやすくてよいかもしれないんだけど、
それでも、もっと、なんていうか、律してほしい、みたいな。

でもいずれにせよ、心揺さぶられる本であることは間違いなく。
木地雅映子の本は2冊めだけど、今回もそうだった。
でも自分的には題材勝ちな印象があるな。

この人の言及もすごかった。うん。参考までに。
はてなdiary「白くまシンドローム」<『悦楽の園』 木地雅映子


★★★
20081208present
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