活字中毒者の乱読日記 印象批判100%
佐藤稔『読みにくい名前はなぜ増えたか』
佐藤稔『読みにくい名前はなぜ増えたか』歴史文化ライブラリー236、
吉川弘文館、2007.8.1、193p

変わってゆく名前−プロローグ
「名づけ」と「名前」
 「名づけ」とは何か/「名づけ」の由来
名の用語と意味
 さまざまな名前/名前と日本人
「名乗り字」と「名乗り訓」とそれからの逸脱
 「名乗り字」と「名乗り訓」とは/逸脱していく名前
日本語と名前の行方−エピローグ



「そもそも読みにくい名前は、日本語を書記する文字として漢字を使い出した当初から宿命として存在したし、過去の文献に現れる名前を自信を持って読めない事情は、ほぼ一貫して存在したと思われる。読むのに不安を抱いた場合の方策として採られてきたのが、名を字音読みするという手段であったが、(中略)重宝といえば重宝この上ない便法であった。
ところが昨今の名前の漢字表記は、この字音読みという「逃げ」を許さない読みにくさを生じさせているということで、突出したものとなりつつある。」(189.8-15)
「声に出して読めない名前の現状と来歴について、漢字表記あるいは音訓と絡めて眺めてみよう」(188.6-7)という意図のもとで編まれた快著。
「おそらく、漢字表記とそれによって導き出されるはずの読み方との関係が、ふだんの漢字教育で身につけたものと乖離していることに原因があるのではないか」(12.13-15)という着眼点から、文化の問題として名づけの漢字の用い方を考察しようとしている。

まず、上代における氏、姓、仮名、実名の相違と、歴史的変遷を概観しつつ、歴史史料から抜き出した人名から、その当時の傾向と、社会階層における差異を見てみる。さらに「名乗り字」と「名乗り訓」の過去のサンプルと、最近の名づけのサンプルを比較して、漢字の音訓が伝統的なそれから大きく逸脱する方向にあることを確認する。

名乗り字とは、公家や武家が元服する際につける「実名」に用いられる漢字のことで、例えば「光」を「あり」、「親」を「ちか」と読んだりする名乗り字特有の訓も多く含まれることが特徴である。名乗り訓は、名乗り字の、名乗り特有の訓のことである。

名乗り字は平安後期から書物にまとめられるようになり、江戸期には庶民向けの書籍も多く出版され、その一部は明治になってからも再版、増補され、現在の名づけ本に至る。おもしろいのは、名乗り字について、江戸期に既に占術化が始まっていること。ただ、池永禎造(1947)によれば中古中世の名乗り字がいかに使われていたかの実際は推定するしかない(その漢字をどう読んでいたかはわからない)という側面もあり、名前に用いる文字の歴史的な性格というものの研究は、あまり進んでいないのが現状でもある。

名乗り訓を考えるには、訓読みとは何かということから考え始めなければならない。
訓読みとは、現在のわれわれに認識されている範囲よりも、
より広い字義を捉えることが可能な方法であった。漢字漢文を読むということは、単純に限定的、固定的な語形として読み下すということではなく、その文脈に最もふさわしい日本語で翻訳するという行為であったため、多彩な訓の存在が許されていたのである(例については132-133参照)。
「その幅広い訓のあり方が、名乗りの分野では「名乗り訓」として訓を発達させ、他の領域では漢文訓読形式の固定化とともにその訓の多様性が狭まるようになった」(133.15-134.2)わけである。

つまり、名乗り訓は最初から特殊なものとして生み出されたものではなく、多様な字義を読み分けるための工夫として形成されたものであるということだ。しかし、時を経てその字義が薄れ、「この漢字をなぜこんなふうに読むんだろう…」という状況が出来するわけである(本居宣長も悩んでいたらしい)。

さて翻って現代の状況を考える。ここで使用されるのは、ある地方の町の「広報」の「おたんじょうおめでとう」コーナー1年半分(1995-1998)。比較として挙げられているのが、同じ町の「広報」掲載された、1946年度誕生の人たちが2006年に還暦祝賀会を開催した際の名簿である。
還暦名簿の人名は「読めない」、というものは極めて少なく、漢字も平易なものが多い。終戦から間がない時期で、命名に凝っている余裕がないという時代も反映しているのだろう。
対して新生児名には、音や訓の一部を省略したり、少しムリな当て方をしているものが目につく(さほどDQNなものは見あたらないが、それでも)。さらに止め字の多様化が指摘される。

戦後に限って傾向を見ると、大きく以下の6つの用法に分けられる。
1、2は日本語表記の世界では古くから見える現象である(166)。

1 漢字本来の音より、環境で有声化した音を採用:晋司(しんじ)、幸史(こうじ)
2 漢字本来の音形の一部を用いる:裕美子(ゆみこ)、玲桜(れお)
3 漢字のイメージ/意味を現行の音訓に関係なく採用:颯(はやて)、瞳里(みさと)
4 熟字を現行の音訓を無視して採用:永遠(とわ)、夢翔(ゆうと)
5 漢字と対応する外国語の音形を採用:月菜(るな)
6 訓の一部を用いる:萌奈(もな)、渚月(なつ)
…後半に近づくにつれDQN度がアップしてゆくな(笑。

著者は、37年間の教員経験を踏まえ「反発を覚悟の上で言えば」と前置きした上で「それは親の教養、ないしは彼らが属している階層・環境による。伝統的な文化にさして違和を覚えず、従来通りの文化を享受することのできる、保守的富裕層と、自分の居場所を模索し、価値観に「個性的」というマークを刻印せずにはおれない新興勢力の層とは、分極化が著しい」(184.2-6)と述べる。
うおー、怖ー(笑。うん、確かに親の教養がかいま見えるとは思う。
そしてエピローグに2006年の地方紙の新生児名を列挙し、その混迷ぶりがむしろ加速していることを確認し、取るべき手だてを2つ挙げる(186)。

1 音訓の制限を明確に設定すること
2 総ルビを強力に推進すること(ただし「個性派」の跋扈跳梁は加速する可能性あり)

いずれにせよ、この問題は、ただ「読みにくい」名前の問題ひとつに留まらない。「固有名の表記についてまわる特殊な現象ではあるが、この領域に無関心でいることは、現代の漢字使用に大きな領分を占めている表記と音訓の関係の新たな展開に目をふさぐことになる。」(181.1-3)
「「名乗り字」の範囲を逸脱した新たな訓の創出や誤解に基づく字音の使用については、十分な注意が向けられているとは言えない。創出や使用の実態の把握と、その背後にある人間の心理の解明に、専門家だけに限らず、名前に関心を寄せるすべての人によって、論議が深められることを期待したい。」(181.4-8)と述べる。
なぜならこれは、日本語をどうするかという根本に関わる問題であり、それだけの困難な局面に、今われわれは立っているからである。

人名を含む漢字表記の音読の難しさは、日本語という言語の特徴から見て不可避であり、且つそれが歴史的なものであるということを認識しつつ、特に最近(著者的には戦後50年くらいから、という意識のようなので90年代後半からてことは、ここ10年強ってとこ?)の、命名における音訓の任意的使用や字義の誤用には、命名の分野のみにすまされない問題が内在されているとし、複数の視点からの研究が望まれる、という主旨。たぶん。

まあ、「なぜ増えたのか」って問いに対する答えは、あまり明確じゃないと思うんだけど(笑。

概要と感想をごっちゃにして書いちゃった。
細かいこというと、「遊女の存在は奈良時代の文献に見え、昭和三十二年(一九五七)まで続いた。」(101.10)などの、歴史性を無視した、通説の無批判な使用など、一部気になる部分もあるけど。奈良時代から昭和までって。。(笑

しかし「他国の歴史や文化的伝統を十分に知らない場合、こちら側の気づいた項目一つ一つがすぐさま「特色」のように感じられてしまう。しかし他国側のありようについて知識の総量が増えていけば、こちら側の今まで特色と考えてきたものが特色とは呼べないありふれた傾向の一つに格下げされるということが多くなる。」(103.4-7)という視点は慧眼。
特にこの分野の研究者で、こういうことに思いが至ってる人って尊敬しちゃう。

あー長くなっちった。新聞の書評は書けないな(笑。

20080903借
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池上禎造『漢語研究の構想』(岩波書店、1984)上記論文は「国語国文」1947.10月号
円満字二郎『人名用漢字の戦後史』(岩波新書、2005)
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徹底サーチ / 2008/09/10 8:48 AM