活字中毒者の乱読日記 印象批判100%
ぼくの少年の日のノートの上に:長野まゆみ『野川』
長野まゆみ『野川』河出書房新社、2010.7、172p、1300-

1 家庭の事情
2 登校
3 日食
4 ルーフテラス
5 新聞部
6 鳩の通信
7 報告
8 海のかたち
9 S山
10 雨の夜
11 野川
12 翔ぶ力
13 鳩のように
14 終業式


慣れ親しんだ都心から、父の事業の失敗と両親の離婚のため、新宿から30分ほどの場所に越してきた音羽。緊張の夏休み明け、かれは少し変わった教師、河井から、新聞部へと誘われる。かつて通信各社は、自社で通信用の鳩を飼い、現場記者から本社へと、情報が送られていたのだという。この中学校の新聞部では、それにならい、部で鳩を飼っていた。音羽はそこで飛ぶことを忘れた若い鳩になつかれる。
ほとんど交流はなかったものの、誇り高い人と思っていた父の意外な姿、また葛藤を経て結びつく絆と深まる理解。気さくな先輩の抱える思わぬ背景。うつろう季節と豊かな自然。長い長い時を経て形作られた地形と、そこで営まれる人々の生活。
おそらくは国分寺崖線沿いの街で音羽が経験する中学2年生の2学期。かれの背景は、氷河が河岸を削った氷河期をも含む、悠久の時間の積み重ねにあること、いかに自分が無力であるかを自覚しながら、それでもできることを探していくこと、周囲の人々への視線と情愛。少年が実に深く、確実に成長していくさまを、あざやかな背景とともに読み進められていくのは、ひとつの幸せである。装丁画は木内達朗。

ちなみに「ぼくの少年の日のノートの上に」は、ポール・エリュアールの詩「自由」の書き出しである。大島弓子「ローズセレモニー」(1979)に引用されていたのは安東次男訳『エリュアール詩集』(思潮社、1969)で、ここでの書き出しは「ぼくの生徒の日のノートの上に」。「小学校のノートに」となっている訳もあるので、これを見るに、おそらくこの原文に近いのは「生徒」なのだろうと推察する。
そこで敢えて「ぼくの少年の日のノートの上に」としたのは、著者自身がこの表現を使っているからだ。おそらく『ことばのブリキ罐』(河出書房新社、1992)に、「この魅力的な書き出しで始まるP・エリュアールの〜」というくだりがあったはず。「少年」も「生徒」も「小学生」も、かれらのある時期を切り取る語と解釈できようが、ひじょうに長野的に、そして音読したときの字数と響きの美しさで、「ぼくの少年の日のノートの上に」を選びたいと思う。

河出書房新社の特集ページはこちら

★★★★20101128借
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