活字中毒者の乱読日記 印象批判100%
長谷川まゆ帆『お産椅子への旅』
長谷川まゆ帆『お産椅子への旅 ものと身体の歴史人類学』
岩波書店、2004.11、261p、2800-

プロローグ
第一章 お産椅子とは何か
第二章 文献上のお産椅子とその歴史的変遷
第三章 お産椅子の形態変化と身体の所作
第四章 触れること/触れられること
第五章 象徴・記号としてのお産椅子
第六章 お産椅子に先立つ身体の技法
第七章 お産椅子からベッド/分娩台への移行
エピローグ
参考/引用文献・非文献史料についての若干の補足


お産椅子とは、イタリア、オランダ、イギリス、
フランス、ドイツなどのヨーロッパ主要地域で、
ルネサンス期から19世紀にかけての数百年間に考案された、
奇妙なかたちの、お産に用いる椅子である。
現存しているお産椅子は数少ないが、
特に16世紀から19世紀にかけて、よく使用されていた。

※現在の表記
Parturition chair(英・分娩椅子)
Chaise d'accouchement(仏・シェイズ・ダクーシュモン、分娩椅子)
Chaise obstétricale(仏・シェイズ・オプステトリカル、産科椅子)
Gebärstuhl(独・ゲバールスチュール、産婦椅子)

この道具がどのように考案され、普及し、受容され、廃れたか。
お産に関するさまざまな知恵や工夫のあり方には、
その文化における身体技法が大きく関わっている。

その過程で、それまで介助者と産婦のふれあいの中から、より本人にとって自然な、
生みやすい方法というものが随時採用されていたお産の現場に他者の目が入り、
あるひとつの理想的と思われるポーズが提唱され、そこに身体が順応させられていく。
それは身体をコントロール下に置くという近代化の端的且つ特長的な現象であり、
産婦を「産む主体」から「生ませられる客体」へと変化させる流れの発端でもあった。

そういった視線を通底させつつ、お産椅子そのものの変化を丹念に追う。
そのへんの手法の細かさはさすが歴史学出身。
さらに史料への接近の仕方を、人類学における参与観察になぞらえ、
「他者の世界を、自分自身の世界の枠組みだけで理解してしまうのではなく、
可能な限りその世界に近づき、その世界の現前する、まさにその渦中に
とび込んで行き、体当たりで空間を感受し、文脈を理解し、
できればそこに生きている人々とも対話してみることです。と同時に、
もう一度そこからもどってきて距離をおいて眺めることでもあります。
つまりもう一度その世界の外部にたって、そこから聞こえてくる不協和音に
耳をすませること、そしてその内部にあってはみえない、
うまく言葉にすることのむずかしい、しかし内部に降り立ったがゆえに
初めて見えてくるところの力や亀裂、軋轢を理解し、言葉にしていくことだからです」
(23.6-12)という部分が「歴史人類学」なのだな。ちとくどいな(笑。

ブルデューの、特にハビトゥス概念、アラン・コルバンの一連の研究、
ターナーの構造論、身体論などの先行研究を生き生きと参考にした
かなりの名著。ていうか、買うわこれ。
この著者は今東大の教養の准教授なんだけど、講義もおもしろいらしいねえ。

20080610借
学術書みたいの 産育関係 / comments(0) / trackbacks(0)
三砂ちづる『オニババ化する女たち』
三砂ちづる『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』
光文社新書、20040920、253p、720-

はじめに オニババ化とは何か
第1章   身体の知恵はどこへいってしまったのか
第2章   月経を「やり過ごして」よいのか
第3章   出産によって取り戻す身体性
第4章   女性はなぜオニババになるのか
第5章   世代をつなぐ楽しみを生きる
おわりに


日本の昔話に出てくるオニババが、「社会のなかで適切な役割を
与えられない独身の更年期女性が、山に籠もるしかなくなり、
オニババとなり、ときおり「エネルギー」の行き場を求めて、
若い男を襲うしかない、という話だった」(3.6-8)という
衝撃の解釈から始まる、身体論。
上記の「独身」は「処女」または「コンスタントにセックスできる
パートナがいない」と置き換えても可。

女性という肉体を抱えて生きていく上で、その身体性を軽視していく
ことへの警鐘、しかしそういった身体の軽視ということによって
現在の「近代社会」がある程度のかたちをなしたこともまぎれもないこと。
女性は結婚して、家庭に入って出産して育てて、という「レール」を
自明のものとしない生き方を、先人が切り開いたことによる恩恵も当然ある。
そういったことを踏まえた上で、自分が抱える女性という肉体を、
自分のものとして考え直してみることも必要なのでは?
-----------
身体論の行き着く先として究極だろうな、妊娠と出産。
ただの経験論に陥らない、そして自分の主張とは異なる立場を
受け入れつつの論の展開は、さすが理系、という感じ。
後半はちょっと、世話焼きなおばさんの押しつけみたいに
感じる部分がなくはないけど。。
赤松啓介を紹介するとき、「柳田國男が、おそらく意識的に
取りこぼしてきた、性に関する民俗を、長年の地道な調査によって
研究したといわれる民俗学者でした。」(36.14-37.1)の
「といわれる」に、しびれる(笑。
サンカという人々を引いてはいるけれども、その存在に学術的に
疑問が持たれている、ということも併せて書くし、
そういうとこの公平性って大事よね。
でもまあ正直、赤松の成果や、サンカとかいう語句を、日本という国
全体にとっての「昔」≒過去として引用しないでほしいなあ。
誤解を招くよ。そういうことを差し引いてもおもしろい本だと思うけど。

ただ、「恋愛弱者」「モテない」というカテゴリに入ってしまう
人たちにとっては、読むもつらいものになってしまうのかも。
もちろん著者がいちばん心配しているのはそのカテゴリの人々なのだけれど、
その人たちが著者のメッセージを受け取る(まで本書を読み込む)のは、
ちょっと難しいかも、と思う。
出産しないことを選択した人にとっても、
なかなか受け入れがたく思われるかもしれないし。
上記の昔話解釈でいきなり引く人もいそうだし。
とりあえず、読者である自分自身を置いておいて、ニュートラルな立場で
読んでみると、とてもおもしろい本であることは間違いないのだけれど。

そういえば、出版当時話題になっているのを見た記憶が
あるようなないような。
Amazonにおける評価の低さにとりあえずびっくり。
やっぱりタイトルの問題があるんじゃないかな、もったいない。
それと、いくら新書といえど、「〜と思う」が多いのでは。。
もう少し客観的なデータを出して主張すれば、
もう少しまろやかに受け入れられるのではないかという感じもする。
ので、この人のちゃんとした専門の論文を読みたい。
というわけで、NDL-OPACにて検索。10数冊著書があるけど、中でも↓

・『疫学への招待 : 周産期を例として』医学書院、2005.5

・『コミットメントの力 : 人と人がかかわるとき』
 NTT出版、2007.9

・『性/愛』岩波応用倫理学講義 ; 5、岩波書店、2004.11

・三砂ちづる,津田塾大学「女性の身体性の知恵に根ざした
 ウィメンズヘルスのモデルの確立」
 文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書 基盤研究(C)
 2006.5

↑特に岩波の叢書と、科研費報告書は読んでみたいな。
だんだんこうやって、セクシュアリティとか女性学の分野に
深入りしていくんだろうなあ、自分。

あと、子どもの頃に、性のことなんてこの世にないような顔して、
いやらしいことだと忌避して、異性とつきあうなんて早いとか
なんとか、っていわれ続けてきたのに、年頃になった途端、
当然肉体関係を含むことになる結婚、ということを
親が勧め始めることへの違和感とかを、持ったことがある人には
とてもお勧め。

20080125購入
学術書みたいの 産育関係 / comments(0) / trackbacks(0)
吉村典子『子供を産む』
吉村典子『子供を産む』岩波新書、
1992、262ページ



買った本はすぐ読むのに、
貰った本はなかなか読まないのは何故だろう(笑。
吉村さんご本人からいただいて、約半年経ってようやく読了。

日本民俗学において妊娠、出産(分娩含む)、育児などの産育の分野は
驚くほど研究が遅れているし、ますます困難になっていくだろう。
四国の山村および漁村における産育調査は緻密で、
80年代にこれらのFWによって、
とても貴重なデータを採取できた、ということになるだろう。

この調査がおこなわれた当時、出産は仰臥位が文句なく主流に
なっていたし、陣痛促進剤の投与も多くの産科ででおこなわれていた。
会陰切開は胎児を守るための当然の手段だった。
著者はそれらの産科の技術が、ほんの50年くらいの間に、
「クリーン」で「安全」であるというイメージとともに
もたらされたものであるということを、次第に知っていくのだ。

日本の近代における助産婦と産科医の関係については、
他にも論考があり、いま研究が進んでいる分野でもある。
著者は、その関係に、女性−男性の関係性を透かして見、
「産む主体」であるはずの女性から、お産という行為が
乖離していく(いる)実態と、その構造、そして原因を
考えていくことになる。

そういう点では、これは優れた論考であるし、
繰り返しになるがフィールドノートとしてもよくできている。
しかし、どうも煩雑な印象が否めないのは、
出産うんちくというか、上記の流れとは異なる細かい情報が
いくつもいくつもちりばめられているからだろう。
結局何について書きたかったの? という感想を得てしまうのは
この本にとっても残念だ。

それと、著者が産育研究に興味を持ったのは、自身の出産経験から、
という部分から、したかないことなのだとは思うが、
結局「産んでみないことには」という体験至上主義にも似た
論調を感じてしまう。
おそらく著者自身は、そんなことは毛頭思っていないのだろうが。
あるいは、新書という媒体の性格上、そのへんはむしろ、
著者の実体験に結びついている方が好まれるのかもしれない。
でも吉村さん、普通の研究発表でも、わりとそういうところあるよな。。

記述や研究における客観性と情熱と動機の関係は、
一筋縄には行かない。
そんなことも考えた。

★★★と1/2
20061019読了。
学術書みたいの 産育関係 / comments(0) / trackbacks(0)