活字中毒者の乱読日記 印象批判100%
高橋秀実『トラウマの国』
高橋秀実『トラウマの国』新潮社、2005.2、245p、1400-

トラウマへの道―本当の「自分」
ふつうの人になりたい―「子供」の作文
ゆとりの勉強―「教育」の空回り
生きる資格―「能力」の時代
もっとユーモアを―「話し方」の学校
Simple & Clear?―ビジネスマンの「英語」
お金の気持ち―「地域通貨」の使い道
妻の殺意―「夫婦」の事件
愛の技法―「セックス」を読む女
生きざま革命―「日本共産党」の人びと
せわしないスローライフ―「田舎暮らし」の現実
自分とは何か?―「自分史」を書く



常に現状に不満や疎外感や違和感を持ち、
いつも、ここではないどこかにあこがれ、
しかし永遠にそこにはたどり着けない人たち。
具体的な内容は全く違う個々のルポなのに、
出会う人々は驚くほどに、互いの似姿。
しかし、どこまで行ってもそんな場所はないのだと、
おそらく誰もが気づいているのだろう。

筆者の視線が、一歩引いているような、揶揄を含むような。
それは客観的であろうとする努力には見えず、
そこがやや不愉快。


20090731借、0817下書き
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河合香織『セックスボランティア』
河合香織『セックスボランティア』新潮社、2004.6、238p、1500-

序 章 画面の向こう側
第一章 命がけでセックスしている―酸素ボンベを外すとき
第二章 十五分だけの恋人―「性の介助者」募集
第三章 障害者専門風俗店―聴力を失った女子大生の選択
第四章 王子様はホスト―女性障害者の性
第五章 寝ているのは誰か―知的障害者を取り巻く環境
第六章 鳴りやまない電話―オランダ「SAR」の取り組み
第七章 満たされぬ思い―市役所のセックス助成
第八章 パートナーの夢―その先にあるもの
終 章 偏見と美談の間で


2002年と2003年にかけて、「週刊朝日」に、何回かに渡って掲載された記事の加筆修正。
第三章の記事を読んで、こんなことほんとにあるの?と気にしていたことだったので、今さらだけどまとまったものを読めてうれしい。
身体障害者の「性」が、いかに処理されているのか、風俗と、ボランティアと、福祉の間。
車椅子の客を受け入れる店、かれらを風俗店に送り迎えすることを業務のひとつとしている介助者、まったく素人でありながら障害者への性的サービスをおこなうボランティア。
たぶん、すごく貴重なデータだと思う。

ただ、普通に生活することに関するサポートすら十分とはいえない日本の現状の中で、性的サービスの享受をひとつの権利の行使と考えるあり方は、頭では理解できても、気持ちでは首肯できない感じが常につきまとった。小谷野敦いうところの「恋愛弱者」たちは、健常者であっても「弱者」である故に、自費による金銭授受を媒介とした性的接触を余儀なくされる場合も少なくない。それが、健常者ではないという理由で「ボランティア」によって、かれらが性的サービスを享受できたり、公的な助成を受けることができたりするのだとすれば(注:日本においてはその例はない)、話は一筋縄では行かない様相を帯びてくるだろう。



ただ、あとがきで著者自身が触れているけれど、「障害者の」という話をする前に、「性」というものを筆者自身がどうとらえ、どう解釈しているのか、という確認が必要だったように思う。
筆者の立ち位置があまり明確でないというか、ある意味で、苛酷で悲しい現状の風に翻弄される木の葉のような筆者の姿は、読んでいてあまり心地よいものではない。

20090731借、0817下書き、20100813加筆修正

読むリスト(いずれも新潮社)
島村菜津『スローフードな人生!』
日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』
山口文憲『日本ばちかん巡り』
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泉流星『僕の妻はエイリアン』
泉流星『僕の妻はエイリアン「高機能自閉症」との不思議な生活』
新潮社、2005.9、238p、1400-

夫まえがき
第1章 妻との日常―生活していて、ちょっと風変わりなこと
    1 妻は毎朝ニュースを見る
    2 今日は何する?
    3 電話でギョッ
    4 ゾンビじゃないんだからさ!
    5 「ただいま」のスリル
    6 我が家は主婦不在
    7 妻が妻になった理由
    ■ 僕らの結婚から、診断までのこと
第2章 妻から見た世界―普通とはかなり違う、妻の五感
    8 視力と眼力
    9 妻って地獄耳?
10 敏感なんだか、鈍感なんだか
    11 我が家の料理人
    12 妻と僕、超能力者はどっち?
    ■ 妻はショーガイシャ?
第3章 異星人妻は、努力して人間のフリにはげむ
    ―世の中に適応するために
    13 異星人サポートチーム
    14 情報のチカラ
    15 異星人妻の驚き人脈
    16 異星人とケンカ
    17 仲直りにも決まりがある
    18 妻と旅する
    ■ 僕らのこれから
著者あとがき


遠距離恋愛から結婚に至ったとある夫婦の、
妻が高機能自閉症と診断されるまでの苦難の道、
診断されてからの模索の生活、
を、夫の一人称を借りて妻が描いてみた、
ある意味ノンフィクション。

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本を読むスピードに追いつかないまま、
アップ待ちの本の山が高くなっていく…

この本は、下書きフォルダに入れたまま、
2週間も寝かされていたもの。
後輩が、この著者について言及していたので、
図書館で取り寄せてもらって借りてみた。
ちょうど、なんかテレビに出たばっかりだったらしい。

高機能自閉症やアスペルガーについては、
概略だけど知識はあるので、
その辺の説明については特に…という感じ。
高機能自閉症と診断されてからの、
お互いすれ違わないようにしようとする夫婦両方の努力は、
具体的でなかなかお役立ち。

ただ、夫の一人称にしたのは、わたし的にはちょっと。
あとがきの、著者本人の文章のほうが
ずっと明晰で読みやすかった。

20090731借
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NHK取材班『朽ちていった命』
NHK「東海村臨界事故」取材班
『朽ちていった命 被曝治療83日間の記録』
新潮文庫、2006.10、221p、438-
初出:『東海村臨界事故 被曝治療83日間の記録』岩波書店、
2000.10

被曝 一九九九年九月三〇日
邂逅 被曝二日目
転院 被曝三日目
被曝治療チーム結成 被曝五日目
造血幹細胞移植 被曝七日目
人工呼吸管理開始 被曝一一日目
妹の細胞は…… 被曝一八日目
次々と起きる放射線障害 被曝二七日目
小さな希望 被曝五〇日目
被曝五九日目
終わらない闘い 被曝六三日目
一九九九年一二月二一日 被曝八三日目
折り鶴 未来
あとがき

解説:柳田邦男


JCO東海事業所勤務の大内久は、ここ茨城の生まれ育ち。
実家の敷地に家を新築して、妻子と住んでいる。
1999年9月30日、出勤してから転換試験棟という場所で作業開始。
核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使う
ウラン燃料の加工作業である。
上司と同僚の3人で13日から作業に当たっており、
今日はいよいよ仕上げの段階だった。
まずステンレス製のバケツの中で溶かしたウラン溶液を濾過する。
その液を沈殿槽という大型の容器に、漏斗で流し込むのである。
途中で上司と交代した大内が右手で漏斗を支え、
同僚がそこにウラン溶液を流し込む。
バケツで7杯目、最後の溶液を流し込み始めたとき、青い光が走った。
臨界。
大内たちは、その瞬間中性子線を被曝した。
放射線の発生を知らせるサイレンが鳴り響いた。
上司の「逃げろ!」という声で大内たちは更衣室へ逃げ込み、
その直後に意識を失った。

千葉県の放射線医学総合研究所へ運び込まれた大内は、
最初、被曝量を8シーベルト以上と推定されていた。
IAEAの被曝量推定によると、
8シーベルト以上の被曝をした人間の死亡率は100%。
その後の染色体検査などから、最終的に大内の被曝量は
20シーベルト前後とされた。
これは普通の人の年間限度量の2万倍に達する。

大内には造血幹細胞移植が必要と判断され、
東大病院救急部への転院が決まった。
搬送されてきた大内の外見は、火傷を負った右腕以外に
大きなダメージも見られず、意識レベルもほぼ正常だった。
担当になった医療スタッフたちが、もしかしたらよくなるのでは、
治療したら退院できるのではないか、と思う程だったのだ。
救急部の看護婦長は、その日の看護記録の中に
「最終的な目標:ICUを退出できる」と書き込んだ。

その後、大内の容態は日に日に悪化してゆく。
新陳代謝で表皮の細胞がはがれ落ちても、
放射線によって破壊された染色体は新しい皮膚を造れず、
真皮がむき出しになってゆく。
乾燥を防ぐため輸液をし、全身を包帯で覆うが体液の浸出は
日に2リットルをこえる。
組織が新生されないのは内臓も同じで、粘膜は次々はがれ落ち、
下層がむき出しなって、消化管には血液がたまってゆく。
自発呼吸も阻害され、意識レベルも低下してゆく。
妹からの造血幹細胞移植もおこなうが、細胞は定着しなかった。
次第に朽ちてゆく体。
必死でそれを食い止めようとし、そのたびにそれが、
単なる時間稼ぎでしかないことを痛感させられる医師たち。
疲労してゆく家族、徒労感にさいなまれる医療スタッフ。
1999年12月21日、享年35歳。
死因は「放射線の大量照射に起因して一次、または
二次的に惹起された他臓器の機能不全と推定される」とされた。
2000年4月27日、被曝211日目、大内とともに被曝した
同僚の篠原も死亡、享年40歳。
同年10月、事故当時の所長らが業務上過失致死の容疑で逮捕された。
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東海事業所でのウラン燃料の加工作業は、本当のマニュアルを
簡易化した、あまりに安全性に欠けていたものであったこと、
作業の危険性を大内ら作業員はほとんど教育されていなかったこと、
日本の電力の3分の1は原子力によるものなのに、高線量の被曝、
特に臨界事故などによる中性子線被曝の治療についての研究が
日本ではほとんど研究されていないこと、
原子力防災体制の中の、被曝治療の位置づけが非常に低いこと、
国の法律にも、防災基本計画にもその制定に臨床医が関わっておらず、
医師の視点=「命の視点」が決定的に欠けていたこと。

この事故は、大内の死は、それらの大きな問題をつきつける。

原子力安全神話という根拠なき自信のもとで、安全対策が軽視され、
現場が危険に曝される可能性を、想定していなかったJCO。
しかしそれは翻って、そのようにして作られた電力を消費する
われわれ自身にも突きつけられる課題なのである。
首都圏でありながら、人口密集地ではない茨城県に作られた
JCO東海事業所。
または過疎地の海岸沿い、鹿児島、佐賀、愛媛、島根、若狭湾沿岸、
新潟、福島、宮城、青森、北海道…

目に映らないことを、自分が知らないことを、
言い訳にしてはならない。と痛感する。

淡々としたドキュメンタリで、悲惨な現場を直視しつつ、
憤りつつ、それを端的に表に出さない姿勢に好感。
2009.4古書で購入。

こちらも詳細です:
Heaven or Hell?「朽ちていった命〜放射線被曝とはどういうものか
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山口遼子『セクシャル アビューズ』
山口遼子『セクシャル アビューズ 家族という他人
―広がる性的虐待の実録レポート』サンドケー出版局、
1994.8、219p、1500-

まえがき
第1章 犯された子どもたち―性的虐待の実録レポート
第2章 家族という幻想―家庭内で急増する性的虐待
第3章 タブーを超えた性―性的虐待とは何か
第4章 壊された心―性的虐待による影響と後遺症
第5章 子どもたちを守るために―性的虐待の防止策と救援システム
第6章 沈黙からの解放―活動する“癒し”の機関
第7章 新しい“私”へ―過去を克服する“淳子”と“レイナ”
おわりに
資料

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いきなり冒頭から、大量の「実録レポート」。
聞き書きから構成されているのだけれど、
地の文がやたら感情的でまるで義太夫みたい。
被害者への深い同情と、加害者への強い怒りが筆者を
動かしているんだなあ、というのは前書きから既にわかるんだけど
正直疲れるし読みにくい。
筆者の怒りを読むために、この本を手に取ったのではないんだが、
という気分になってしまって、読了するのがつらかった。

一応章は分かれているけれど、書かれていることはほぼ同じ。
似た内容のことが繰り返し書かれている。
いきなり「実録レポート」が挿入されたりする。
そして地の文は熱い。
というか、筆者の武器はこれら「実録レポート」以外に
ないんだな、きっと。

「Sexual Abuse」というタイトルに惹かれて読んでみた。
…この語が何を指すかという説明が本文ではなされていない
気がするけど、表紙に「性的虐待」と書いてあるので
(タイトルではない)きっとその意味なんだろうな。

実はこのabuseをalcohol abuse、drug abuseなどと
同じ運用だと思いこんでいた。
性行動に依存しないと生きていけない加害者と、被害者となった
その家族、とかの話かな、と。
違かった。
冷静なノンフィクションでも、克明なルポルタージュでもなかった。
酷評すぎかな。

ついでに、奥付に出版年が入っていないのはどうだろう。
カバーの折り返しにあったって、カバー外したら
わかんなくなるじゃんね?
20090415借
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NHK報道局『世界を救った医師』
NHK報道局「カルロ・ウルバニ」取材班
『世界を救った医師 SARSと闘い死んだカルロ・ウルバニの27日』
NHK出版、2004.7、205p、1200-

はじめに
プロローグ 中国からやってきたアメリカ人
第1章 謎の肺炎患者との遭遇
第2章 感染拡大の危機
第3章 国家の壁
第4章 未知のウイルスの恐怖
第5章 ベトナム政府との交渉
第6章 世界への警告、グローバルアラート
第7章 ウルバニの死
エピローグ 新たなウイルスとの闘い

 カルロ・ウルバニ 
 その良心によってなし得た仕事について  押谷仁

おわりに

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2003年2月末。香港からハノイにひとりの中国系アメリカ人が
降り立った。ビジネスマンである48歳のかれは、軽い微熱を感じつつ
会社のハノイ事務所に向かう。3日後、体調の悪化を感じて市内の
外資系病院「フレンチ病院」に来院してそのまま入院する。
その4日後容態は急変、40℃を越える熱、激しい咳が止まらず吐血、
人工呼吸器につながれることになった。

このとき、フレンチ病院の医師の要望を受けて、WHOハノイ事務所の
イタリア人医師、カルロ・ウルバニがこの患者を視察した。
ウルバニはイタリアでの開業を経て、国境なき医師団で活動し、
その後家族でベトナムにやってきた公衆衛生の専門家である。
男性患者の、あまりの病状に驚くウルバニ。

実はウルバニのもとには3週間前、ハノイのフランス大使館から
「中国広東省で「謎の肺炎」が集団発生し、多数の死者が
発生しているらしい」という情報がもたらされていた。
40代の健康だった男性をわずかな期間でここまで悪化させる
病気は、普通の肺炎ではありえない。
また、この男性が香港からハノイまで移動してきたことも気になった。
かれはどこでこの病気にかかったのか?
ウルバニは、WHOの各事務局に情報をメールし始める。
病名が確定できないまま、男性は家族の要請で香港に移送された。

また、WHO西太平洋地域事務局の押谷は、広東省での「謎の肺炎」の
調査をすべく、再三中国政府に情報の公開と入国を求めていた。
難色を示す中国政府。感染は既に終息に向かっているというのだ。

そのころ、フレンチ病院の医師や看護師数人が倒れた。
高熱、筋肉痛、激しい悪寒、止まらない咳。
ウルバニがヒアリングをすると、かれらは全員、あのアメリカ人
男性患者に接触した者たちだった。
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いきなり読みたくなって借りてみた。
これはNHKスペシャルとして放映されたものらしいのだが、未見。
実際には、WHOの医師が感染現場で直接指示をしたり、
治療をおこなうことはないのだが、ウルバニは国境なき医師団での
経験と、自身の治療への熱い思いから病棟を見舞い、
謎の肺炎と闘う医療スタッフを励ます。
その間、WHOにレポートを送り続け、ベトナム政府に対応をかけあう。
政府の反応ははかばかしくなく、むやみに時間のみが過ぎていく。
その焦燥感。
そして謎の肺炎ウィルスは、ウルバニをも、その毒牙にかけたのだ。
罹患した患者たちがどのような経過を辿ったのか熟知しているだけに
それは大きな恐怖だった。

「新型ウィルスと闘い、そのウィルスによって死んだ」ということは
一見美談にも見えるが、WHOの医師がそのようにウィルスに罹患し
死亡するということは、もちろん望ましいことではない。
治療する医師が罹患するような軽い装備しか、WHOはそこに
準備できなかったということでもあるし、他のスタッフを
向かわせることができたのも、ウルバニが倒れてからだった。

すぐそこで着々と感染爆発の危機が迫っているのを間近で見て
焦燥を募らせる現場と、おおごとにしたくない消極的な政府。
そこを折衝していくWHO職員たち。
常におしりがむずむずするようないら立ちを抱えて読んだ。
ちょっと時間軸の通りに進まないところがわかりづらくて、
ページを戻ったりすることも多かった本。

20090308借
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三島英子『乳房再建』
三島英子『乳房再建』小学館、218p、1200-

一章  乳房、取ることになったよ―しこり
二章  手術室で会おうね―入院
三章  おっぱい、いいの、造ったよ―術後
四章  使わないから、痛いんだ―リハビリ
五章  甘えてんだよ―退院
六章  幸せに逝かしてやろうぜ―母の胃癌
七章  有刺鉄線で締められるか?―母の死
八章  お前、温泉に入れる?―七年後
九章  乳房再建手術は健康保険が効かないんだ―克服
十章  主人が造ってくれた乳房です―予感
十一章 形成外科医の妻として―あとがきにかえて
付記  乳房再建手術を受けた妻から形成外科医の夫への二十三の質問
    ―乳房再建手術の現状と今後


子どもと一緒に水着に着替えていて、胸のしこりに気づいた33歳の夏。
数年前、母は乳がんで片方の乳房を全摘している。
翌日の朝、形成外科医の夫に見せると、出勤してから1時間も経たないうちに
夫から電話がきた。
「あしたの9時、ここの乳腺外来の予約をしたから」
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全摘するほどではなかったが、かたちが大きく変わる乳房。
がんの摘出術と同時に再建手術もやろうという、当時としては先端の試み。
再建手術の執刀医は夫。
夫は乳房だけでなく、さまざまな部位の再建が専門だったのだ。

いち患者としての自分、夫の妻としての自分、
執刀医としての夫、患者の夫としての夫、
などのバランスに苦しむさまがリアル。
本人は術後、「乳がん」ということばを、発することができなくなる、
文字で見ても気分が悪い、自分で書くのにも抵抗がある、という
状態に陥るが、幸い転移はなく、再建した乳房も術後良好。

とりあえず、ものすごく読みにくかった。
題材勝ちというか、そういう部分は間違いなくあるかな。
主語はしょっちゅうなくなるし、自分の心中が地の文に突然出てくるし、
まあ一人称だからしかたないのかもしれないけど、
ノンフィクション、、というよりか、乳がんと再建手術の体験記、
みたいな趣。
本棚の分類違うんじゃないの、みたいな。
付記は普通にお役立ちでした。
ジェンダーとか、社会的身体とかについても、ちょっと考えることができる。

20080701借
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杉山春『ネグレクト』
杉山春『ネグレクト 真奈ちゃんはなぜ死んだのか』
小学館、2004.11、253p、1300-

第一章:逆境 1・雅美の孤独 2・いじめ・不登校・レイプ
       3・ゲームの子 4・カレシとカノジョ
第二章:出生 1・中絶、そして出産 2・雅美のしあわせ
       3・急性硬膜下血腫 4・笑わない娘、叩く父
第三章:発端 1・一歳半検診 2・戸惑う保健師たち
       3・弟はいい子なのに…… 4・買い物依存症
第四章:餓死 1・運命のミーティング 2・見逃されたチャンス
       3・たった一度の母への言葉
       4・段ボールの中の誕生日
       5・「あんたら、これでも親か」
第五章:法廷 1・殺人か遺棄致死か 2・現実感なき「愛のノート」
       3・よく似た母娘 4・最終尋問 5・智則の手紙
       6・上告棄却
あとがき

       
2000年12月、愛知県で3歳になったばかりの少女が餓死した。
身長89cm、体重わずかに5kg。死亡したのは段ボールの中。
少なくとも20日間近く、自宅の3畳間に置いた、段ボールの中に入れられていた。
両親は逮捕、起訴され、裁判では殺意の有無に焦点が当てられた。
少女が生まれたのは1997年11月、正常分娩で3058g。
両親はともに10代だったが、祝福され、愛された誕生だった。
それがなぜ、3年後にこんなことになってしまったのか、両親の生育歴から環境、事件に至る経緯、裁判の経緯を丹念にトレースするノンフィクション。
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まず、事件の全容に愕然とし、しかしその事件が実にナチュラルに、まるでたいしたことじゃないことのように起こってしまったことに慄然とする。
両親はともに、祖母の代から3代続けて親との縁が薄く、金銭的にも愛情的にも恵まれない家庭環境だった。特に母の母は、著者のインタビューに対し、今回の事件は「私に起きても、私の母に起きてもおかしくないことだった」(211.8-9)と語る。
公的機関はところどころに介入するが、最終的な救いにはならない。現制度のニッチを突いたところに幼児虐待、特に育児放棄、があるからだ。ネグレクトに対する社会的認知が今ほどなく、現場での体制が整っていなかったことも、その理由になった。

事件への流れを追うと同時に、幼児虐待とそのメカニズムが解説されていく。
虐待は1・暴力的虐待、2・心理的虐待、3・育児放棄、4・性的虐待の4つに分類されるのが一般的だが、もう少し広い観点から、子どもに対する「不適切な取り扱い」maltreatment 全体を虐待とする考え方もある(53)。
その場合、例えば食事の仕方、排泄の仕方などを正しく教えられない、適切に育児をできない/していないことも虐待に含まれる。
さらに虐待はaddictionであるという考え方もある。自身の弱さに直面したくないために、アルコールや薬物に逃避するのがalcohol abuse、drug abuseの状態だ。同じように、現実から逃避するため、子どもを乱用するのが、児童虐待 child abuse である、というものである(89-91)。
また、虐待のメカニズムは、自身が適切な援助者を得られないまま成長し、他者を頼ることをできないまま、その子に自身が受けたことと同じことをしてしまう、という不幸の連鎖状態をいう。

複数の理由が重層的に影響して、結果少女は餓死してしまう。
検察側は取り調べの際、自分の考えていることを適切に表現できず、表現力に乏しい両親からある意味誘導的に供述を得る。
結果、かれらの未必の故意による殺意を認定するに至った。

逮捕、拘置された両親は、これまでの人生でやってこなかったこと、自身と向き合い、ことばを尽くして周囲とコミュニケーションを取り、自分の考えていることを説明する、という作業に直面する。
それはふたりの内面を成長させる一端にはなったようだが、その授業料としては、子どもひとりの命は高すぎる。しかし、最後まで、ふたりには、やや現実感が欠ける。

1審判決の、懲役に対して文句はないが、殺意、共謀があったとして殺人罪が適用されたことを不服として控訴→敗訴→上告するが、上告が棄却されて、ふたりは現在服役中である。拘置中に人間的に成長するという描写は、まるで革命が起こったあとのマリー・アントワネットみたいな感じがするけど、ぎりぎりのところで著者は、自身のかれらへの立ち位置を、クールなライターであるという場所からずらさない。
そのバランス感覚はなかなか秀逸。ノンフィクションはそうじゃなくちゃね。

児童虐待が、特異な家庭、特異な親による猟奇的な犯行などではなく、社会的に弱い立場の家庭とその構成員が、どこにも誰にも守られずに加害者/被害者になってしまう、そして往々にしてその構図は親から子へ受け継がれてしまう、という社会的構造をあぶり出した。
著者は「虐待のメカニズム」を広く認知させる必要がある、とあとがきに述べる。本書は、確かにその一端になるのではないかな。
よい本でした。

20080610借
20100813加筆修正
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