活字中毒者の乱読日記 印象批判100%
塚谷裕一『植物のこころ』
塚谷裕一『植物のこころ』岩波新書、2001、211p、700-

はじめに―植物の生命
1 存在
 1 個のありかた
 2 性の意味
 3 融通無碍な体―全能性
 4 花の設計図
 5 花芽を作るとき
 6 世界をとらえる―光・重力・音
2 戦略
 7 天へ向かって―「つる植物」の生き方
 8 利用できるものは利用する―着生・寄生・腐生
 9 入居者募集―アリ植物とダニ植物
 10 捕らえる―食虫植物
 11 ポリネーター―昆虫を利用する花
 12 だます―昆虫を利用する花2
3 適応
 13 ヒマラヤの高みで
 14 水の中で生きる
あとがきにかえて
参考文献


われわれはどうしても、世界をわれわれ視点で見てしまう。
植物を擬人化し、その中でそれらを「生きている」と認識することもそのひとつだ。感情移入できることを「生きている」と同義にとらえるのはひじょうに危険な考え方でもある。また、人類の、生物としてのありかたを基準に、それと異なるありかたを特殊とするのも傲慢である。
一旦、それらの認識を措き、植物をみてみよう。そこには、実に精巧なメカニズムがあり、驚嘆すべき生存戦略がある。あたかも、植物に明確な意志があり、進化をしていったかにみえるほどに。
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梨木香歩が『沼地のある森を抜けて』を書くにあたって触発されたという情報(『ぐるりのこと』文庫版解説)を得て、借りてみる。
疑似科学などに対する辛辣な批判をこっそりと秘めた明晰な文体、文学作品からの多くの引用、惜しげもなく披露される専門知識(門外漢の知的好奇心を満たす、というキャッチーな意味もこめて)、塚谷さんの文章は、リズムがあって読ませる。わくわく。
また、植物の形態進化のプロセスは、遠藤秀紀『人体 失敗の進化史』などと合わせて読むと、より深まるかもしれない。

この「かたち」がいかにしてここにあるか。

動物も植物も学問も、そこにこそ知るべき価値があると思う。


20100702借
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中井久夫『最終講義』
中井久夫『最終講義 分裂病私見』みすず書房、1998.5、
150p、2000-


「1966年にウイルス学から転向して精神科医になった著者は、
 それまで研究者の数も少なく、治療よりも「不運な人の傍らに
 いよう」という時代のなかで、本格的に分裂病の治療に
 取り組みはじめた。以後30年、分裂病の回復過程の問題を
 中心に、一方では「風景構成法」を編みだし、データやグラフや
 絵画療法を駆使し、他方では病棟などの治療環境なども含め、
 患者との関係のあり方に配慮を尽くして対処してきた著者の
 活動は、日本の分裂病研究に「革命」をもたらしたといって
 よい。昨年3月5日、聴衆で立錐の余地のない神戸大学
 第五講堂で、文字通りの第一人者がこの30年間を語り下ろした
 最終講義は「専門」をこえた感動を読者に伝えるであろう。」

という裏表紙の解説がほぼ全てを説明しているが(笑、
「買うかも」と思うほどよい本だった。
この人に担当してもらった患者や学生は幸運だったろうな。

20090308借
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福岡伸一『生物と無生物のあいだ』
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書、2007.5
285p、740-

初出:『本』2005.7−2007.6

詳細後日。
これはいい!

2008.7購入
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ドナ・ハート、ロバート・W・サスマン『ヒトは食べられて進化した』
ドナ・ハート、ロバート・W・サスマン著、伊藤伸子訳
『ヒトは食べられて進化した』Man the Hunted
(株)化学同人、2007、348p、2200

第1章 ありふれた献立の一つ
第2章 「狩るヒト」の正体を暴く
第3章 誰が誰を食べているのか
第4章 ライオンにトラにクマ、なんてことだ!
第5章 狩りをするハイエナに腹をすかせたイヌ
第6章 ヘビにのみ込まれたときの心得
第7章 空からの恐怖
第8章 私たちは食べられるのをぼうっと待っているだけではなかった
第9章 気高い未開人か、血に飢えた野獣か
第10章 狩られるヒト


Man the Hunter(1968)という概念がひとり歩きする現状。
しかしこの説は古人類学界では完全に否定されている。
そこで著者らは化石証拠と現生霊長類のふたつのみを情報源として、
補食されることが人類の進化適応にいかに影響したかを証明する。
ヒト科の進化の中で捕食者がいかに進化形成要因として働いたか。

20C半ばから狩るヒト説、狩猟仮説が力を持ったのは、客観的な科学というより、
ユダヤ・キリスト教的文化通念に関係していると著者は見る。
同胞の肉をむさぼる血に飢えた肉食動物としての初期人類のイメージは、
西欧の神話、宗教、哲学の中では目新しいものではない。
原罪の存在がその理解を易しくする。
狩猟仮説に基づく主張は生物学的、解剖学的に立証されない。
例えばヒト科の歯や消化器は肉を主食とするに適さないのである。
男性中心史観の、生物学への無自覚な援用がそこにはある。
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ネコ科、イヌ科、各種は虫類、鳥類。
さまざまな生き物から食料として狩られていた初期人類の姿は、
その豊富な化石史料が明確に語る。
が、その史料の読みを歪曲するほどの偏見に、
初期人類学は満ちていた。
例えばいわゆる北京原人の頭骨の穴と亀裂は、
大型ネコ科にかみつかれたその牙の跡と一致するのに、
それが発掘された時代の学者は、原人同士の共食いの結果と結論した。

著者らはその先行研究に、緻密にNoを述べていく。
その爽快感。

ぶっちゃけ、10章があればあとはいいかな、という
冗長な印象もあるが(笑)、現代においても人類は一部大型動物の
えさなのだという事例が怖い。

京都大、山極寿一の解説もよい。
本書を高く評価しつつ、初期人類が肉食ではなく草食中心の雑食であった
という主張に対し、脳の拡大への肉食の影響を述べ、
人類進化のシナリオの提案をさりげなくアピールする。

読むのに時間がかかったけど、おもしろかった。
でも脚注や参考文献が全部Webにしか掲載されてないって問題だ。
Webに載せるとしても、書籍版にも必要でしょう。

20070906借
★★★
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